ブックタイトル京都府立医科大学

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京都府立医科大学

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概要

京都府立医科大学

大学沿革京都府立医科大学は1872年(明治5年)に設立されて以来142年の歴史を誇るわが国でも最も古い医科大学の一つです。本学の設立に至る経緯は極めてユニークなものです。1868年(明治元年)から京都府を通じて西洋医学の教育病院を設立したいと願っていた京都市民は、自らの寄付によって、京都東山の青蓮院の境内に病院を建て、そこにドイツ人を講師に呼んできたのです。多くの医科大学・医学部では、まず大学などの教育施設ができ、その研修の場として附属病院が作られましたが、本学においては、府民の医療を第一とする病院がまず作られ、次にこの病院での医療・医学を担う人材を養成する場として大学が位置付けられました。また、看護学科は1889年(明治22年)に設置された附属産婆教習所に始まり、附属看護専門学校、医療技術短期大学部などの変遷を経て、2002年(平成14年)から医学部看護学科として設置されています。設立以来、本学は地域社会の要請に応えることのできる優れた医療人、研究者を養成するという使命を担い、今日に至るまでこの設立方針が堅持され、府民から絶大な信頼が寄せられています。1880療病院・医学校卒業生(中列、左から4人目萩原校長、5人目ショイベ)粟田口青蓮院療病院産婆教習所設置認可療病院(青蓮院)の病室1889療病院開業式式次第1872 1873医学校10周年187218801889192119491952195719711972明治5年11月明治13年7月明治22年4月大正10年10月昭和24年4月昭和27年2月昭和32年3月昭和46年6月昭和47年11月■■■■■■■■■粟田口青蓮院現在地の上京本校の附属と大学令による附属甲種看護学校教育法に本大学に大学医療センター創立百周年内に療病院を区河原町通広して産婆教習京都府立医科婦学院(後による新制大学院(医学研究を設置設け、患者の小路上る梶井所を設置大学を設置し、看護学院と改を設置科)を設置治療を行うか町に療病院を同時に予科を称)を設置たわら医学生移転開設を教育した1911医学専門学校本館1912臨床講義看護婦講習生1920医科大学正門1914レントゲン室1927附属療病院玄関西方から附属病院を望む1921京都府立医科大学学術研究会発会式47