ブックタイトル京都府立医科大学 大学案内2019

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概要

京都府立医科大学 大学案内2019

3医学科卒業生の声医学科昭和30年卒業藤田晢也(本学元学長)ルイ・パストゥール医学研究センター分子免疫研究所シニア・フェロー昭和52年朝日賞、平成2年島津賞平成8年紫綬褒章誇らしき哉、わが母校私が京都府立医科大学を常々誇らしく思うのは、その創立以来一度も中断することなく続いた歴史が146年にも及び、これが東京大学医学部創立に遅れること僅か3年で創立された医学教育機関として、本邦第二位であり、卒業生の数もそれに比例して多いというような物理的な数値だけを意識しているわけではありません。私は、母校の卒業生が実に多彩な分野で活躍しているということを最も誇らしく思っているのです。国内だけでなくアメリカやドイツなどの有名な大学で傑出した活躍をしている教授や研究者たちもおれば、臨床家でありながら岩波文庫で近代詩集を残した詩人、映画監督として一流になった人、作曲家兼演奏家として一世を風靡したのち医系の大学教授になった人など、わが母校がいかにリベラルな人間らしい教育をしてきたか、如実に証明していると思っています。当然でしょうが、臨床医師として京都府を中心に活躍している人の数は一番多く、この意味で母校が地域医療に貢献している程度は、全国の医系大学では最高であることに間違いはありません。一方、看護学科も実は、明治22年、日本政府公認の産婆教習所の開設以前に、明治5年から療病院で、ドイツ人医師ヨンケルが看護師(助産師含めて)の教育を始めており、これは疑いもなく日本で最初の洋式看護学教育の始まりを告げるものでした。私が母校、京都府立医科大学を卒業したのは昭和30年でしたから今年で63年になりますが、私が直接目撃してきた母校の発展振りに、毎日、大きな誇りを感じているこの頃であります。昭和54年卒業伴信太郎愛知医科大学教育センター長遠きにありて思う母校のこと私は1979年に卒業し、母校で1年間の小児科研修の後、家庭医学レジデントとして3年間を米国で過ごしました。帰国後は国立長崎中央病院、川崎医大、名古屋大学医学部、愛知医大に勤務し、ずっと外から母校を見てきました。京都府立医大の強みの一つはその伝統です。いろいろな卒業生が様々な領域で活躍しているのを見聞すると励まされます。大学生活は一つの通過点に過ぎませんが、京都府立医大は通過する価値のある場所だと思います。香川惠造昭和48年卒業市立福知山市民病院院長伝統と変革の融合した、我が母校本学は長い歴史の中で、変革を繰り返しながら発展し、今日に至っています。万事目の肥えた京都人が病気になると、「府立病院に行ってくる」というのを学生時代からよく耳にしたものです。臨床の府立といわれる所以です。内科の教室に入り、多くの国際学会で発表する機会を得ましたが、いずれの場合も自信を持って臨むことができました。それは、国際的にも通用するアカデミックな環境を先輩たちが磨き上げてこられたからに他なりません。このような教育環境こそ、我が母校の誇りといえましょう。池田栄人昭和53年卒業京都第一赤十字病院院長卒業生便り大学を卒業して40年が経過しました。外科医を志し、救急医に転身し、現在は病院運営に携わっています。その間、色々なご縁に支えられたことに感謝するとともに、京都府立医科大学の卒業生であることを誇りに思っております。社会は変化し医療界にもビッグウェーブが押し寄せつつあり、医療の将来を担う次世代の育成が急務であります。京都ならではの伝統と革新の心を持ち、グローバルに活躍できる行動力ある人材を育てていきたいと思っています。昭和55年卒業小林裕京都第二赤十字病院院長京都府の医療を担い、世界の医学を牽引する伝統ある京都府立医科大学を卒業して私は本学を卒業後、内科に進み、2年間の研修医の間に、抗がん剤投与にて急性白血病が寛解、治癒しうる経過に感動したこともあって、臨床血液医の道を選択しました。そして今は、京都第二赤十字病院の運営、経営に日々悪戦苦闘しながらも、楽しく院長職を頑張っています。これも、京都府下に多くの関連病院を有し、京都府民の医療を支えてきた長い歴史と伝統に培われた医療マインドと、自由でチャレンジ精神旺盛かつ多様性を受け入れられる懐深い本学の教育の賜物と思っています。原邦夫昭和56年卒業地域医療機能推進機構京都鞍馬口医療センタースポーツ整形外科センター長国民栄誉賞をいただきました卒業当時に関節鏡が導入され、臨床医として膝靭帯再建術、半月板手術をしています。スポーツ外傷を中心に当院で2003~18年に行った鏡視下手術は5000例に達し、競技復帰のリハビリに運動生理学的な評価を導入しました。患者さんは高橋大輔氏などオリンピックでメダルを獲得した選手もおられます。女子サッカー日本代表のチームドクターを1989年から勤め、2011年ドイツW杯優勝では「なでしこJAPAN」の一員として国民栄誉賞をいただきました。根気よく継続すれば良いこともあるなと実感しています。昭和57年卒業島田和明国立がん研究センター中央病院副院長・肝胆膵外科科長個性を尊び、国内外にはばたく医師を育成する我が母校京都府立医科大学卒業後の進路で悩んだ際に、当時の学長や外科教授の先生方が親身に相談にのっていただき、東京大学の外科教室にご紹介いただいたのが、現在の国立がん研究センター中央病院肝胆膵外科で勤務するきっかけになりました。本学は140年以上に及ぶ歴史のある医科大学です。長く続く伝統ゆえに厳めしい印象を与えがちですが、本学には学生を大事にする懐の深く、温かい教育方針を感じます。皆様にもこのような本学に入学され、個性を尊び、国内外にはばたく医師を目指していただければ幸いです。昭和57年卒業白石公国立循環器病研究センター教育推進部長・小児循環器部挑戦する心を忘れずに平成20年に小児科部長職に赴任して以来、全国から集まったモティベーションの高い若い医師たちとともに、常に新しいことにチャレンジしています。挑戦する心を忘れずに日々前進することは大変な労力を必要としますが、やり甲斐のある幸せなことだと思います。受験生のみなさん、学生さん、若い先生方、みなさんそれぞれが今置かれている立場で、自分達が新しい道を切り開き、日本だけでなく世界をリードして行くのだという、熱い想いをもって毎日を過ごして下さい!昭和57年卒業濱島高志京都府医師会副会長大学は生涯の心のルーツ学生時代はテニスやスキーに励み、ギリギリの出席数で何とか進級・卒業したのが今となっては良き思い出です。本当に充実した6年間でした。卒業して35年が経過しましたが、現在も頻繁に同窓仲間と交流を深め、恩師や先輩とも様々な場でお会いする機会に恵まれています。こうした単科大学としてのファミリーな雰囲気がとても気に入っていますが、一方で総合大学の多様な交友関係にも憧れていました。今は教養課程を府立大学生や京都工芸繊維大学生とともに過ごせるとのことで、三大学の良い面が体験できて広い視野を身につけることのできる環境をうらやましく思います。19