ブックタイトル京都府立医科大学 大学案内2017

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概要

京都府立医科大学 大学案内2017

大学沿革京都府立医科大学は1872年(明治5年)に設立されて以来144年の歴史を誇るわが国でも最も古い医科大学の一つです。本学の設立に至る経緯は極めてユニークなものです。1868年(明治元年)から京都府を通じて西洋医学の教育病院を設立したいと願っていた京都市民は、自らの寄付によって、京都東山の青蓮院の境内に病院を建て、そこにドイツ人を講師に呼んできたのです。多くの医科大学・医学部では、まず大学などの教育施設ができ、その研修の場として附属病院が作られましたが、本学においては、府民の医療を第一とする病院がまず作られ、次にこの病院での医療・医学を担う人材を養成する場として大学が位置付けられました。また、看護学科は1889年(明治22年)に設置された附属産婆教習所に始まり、附属看護専門学校、医療技術短期大学部などの変遷を経て、2002年(平成14年)から医学部看護学科として設置されています。設立以来、本学は地域社会の要請に応えることのできる優れた医療人、研究者を養成するという使命を担い、今日に至るまでこの設立方針が堅持され、府民から絶大な信頼が寄せられています。1880療病院・医学校卒業生(中列、左から4人目萩原校長、5人目ショイベ)粟田口青蓮院療病院産婆教習所設置認可療病院(青蓮院)の病室1889療病院開業式式次第1872 1873医学校10周年1872188018891921194919521957197119721976明治5年11月明治13年7月明治22年4月大正10年10月昭和24年4月昭和27年2月昭和32年3月昭和46年6月昭和47年11月昭和51年9月■■■■■■■■■■粟田口青蓮院現在地の上本校の附属大学令によ附属甲種学校教育法本大学に大医療セン創立百周年専修学校制内に療病院を京区河原町として産婆る京都府立看護婦学院による新制学院(医学ターを設置度により、附設け、患者の通広小路上教習所を設医科大学を(後に看護大学を設置研究科)を属看護学院治療を行うかる梶井町に置設置し、同学院と改称)設置を附属看護たわら医学生療病院を移時に予科をを設置専門学校とを教育した転開設改称1911医学専門学校本館1912臨床講義看護婦講習生1920医科大学正門1914レントゲン室1927附属療病院玄関西方から附属病院を望む1921京都府立医科大学学術研究会発会式47